ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)
第百五十二話:「花・桜・華」
2024/01/31
大字典によると、花は異体字で、正字の華に対し、世間一般に使われる俗字だそうです。
文字の成り立ちからすると、華は草木の象形文字で、花は美しく化けると言う時間差による生育を
捉えた表意文字とも読み取れそうです。
中国では、花は牡丹を、我が国では古代は梅を、中世以降は桜を褒め讃えるようになり、
美しく花やかな、栄えているものを形容し、花月、花火、花嫁、花の顔、花の都などと言った言葉が
思い浮かびます。

雪見ればいまだ冬なりしかすがに春霞立ち梅は散りつつ (万葉集)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (古今集)
しばらくは花の上なる月夜かな      松尾芭蕉

尤も当時の知識人や文人たちが、花を観賞する立場にあったのに対し、
一般庶民は、むしろ別の生活上の必要性、その花の莟や咲く時期や散り具合などによって、
穀物の豊作や魚貝の収穫期を占うためでもあったようです。 

さまざまの事おもひ出す桜かな      松尾芭蕉
手をつけて海のつめたき桜かな      岸本尚猛
 
日本文学の良き理解者であり帰化した故ドナルドキーン氏は、「日本の和歌を国家大観で読んでいますと、
つくづく桜がいやになってきます」と皮肉を込めて言われたように、平安朝の和歌で、
すでに四季の代表的な詠題として「春の花」が意識されました。

春風の花を散らすと見る夢は覚めても胸の騒ぐなりけり 西形法師 
                    
一方で、芭蕉の「花と言うは桜のことながら、全て春の花を言う」と賞玩の総名とも捉えて、
「何の木の花とは知らず匂ひかな」や、「薦を着て誰人います花の春」は弥生の桜と言うよりは、
梅や歳旦吟として早春の花一般を詠じたものと解釈できそうです。
 
しかし乍ら、近来の歳時記は、ほとんど例外なく「花と言えば桜花」を指すのが一般的とされております。

ながむとて花にもいたし頸の骨       西山宗因
これはこれはとばかり花の吉野山      安原貞室
花に酔へり羽織着て刀指す女        松尾芭蕉

桜の花時は極めて短いにも拘らず、季語としては”三春“に亘り、初花、遅桜、残花、余花という
詩的イメージを持つ季語による区別で、その語感を微妙に感じ分けて作句されています。

初花も落葉松の芽もきのふけふ       富安風声
長き日の背中に暑しおそ桜         高井几董
幾山を越えて残んの山桜          山口青邨
一本の余花の明りや雑木山         村上三良
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